Saturday, October 21, 2017

Still life




昔昔使っていた、水彩紙のあまりに描いてみた。
触ると、色がとれてしまい、
苦労した。何度着彩しようとしても、
色がとれる。
こんな紙によく描いていたなと思う。
水彩は、紙次第ともいえる。
これは、苦しんだ。絵は楽しくないとね。
ここにポストするかどうかなやんだけど、
まーこれも、成長の一部部分を残すということにして、
ポストすることにした。







英語でいうエッセイと、日本語で言うエッセイの違い。
Do you think technology has changed the way of we communicate?
こういうテーマが与えられたときに、
イントロダクションから、はいって、本題、結論づけをするときに、
使う言葉のパターンが決まっていて、最後の結論づけがあいまいであってはならないというのが欧米のエッセイ。

これは、たまたまネットで、エッセイの書き方をさがしているときに、
見つけたものです。コピペしました。
日本のエッセイは、最近、話ことばで始めるパターンが人気があるらしい。
これをみるだけでも、
欧米でいう、エッセイとは、まったくと言っていいほどちがう。
欧米のエッセイは、はっきりと、結論つけて他者を説得することになっている。しかし、
日本のエッセイは、芸術的な側面のほうが強い。
日本では、欧米のようなエッセイの書き方を学ばないので、
今、私は、非常に苦労している。



優秀賞 「1%の成功のために」        大阪府大阪市 吉武 果耶

「努力は必ず報われる」
周りの大人やテレビに出ている人たち、友達が言う。
私は最初、そんなことあるはずないと思っていた。人には向き不向きがあると思う。だからこそ、不向きな、苦手なことにチャレンジしても仕方がない、そう思っていた。
高校生の時、英語能力検定に落ちた。試験結果の手紙を開いたのは、夕食後に家族でテレビを見ている時だったと思う。不合格の三文字しかなかった。二次面接の知らせも、もちろん入っていなかった。
苦手な英語を頑張って勉強した。自分のためになるから、と自分を奮い立たせて頑張った。試験が近くなると、友達の遊びの誘いも断った。家で、自分の部屋で、机の前に座って、閉じこもった。お風呂には単語帳を持って行った。通学中と寝るとき以外は、ほとんど参考書と一緒だった。なのに、落ちた。あと一歩のところで、落ちた。大幅に点数が足りない、ということではなく、あと少しのところで落ちた。ショックであると同時に、腹が立った。
「頑張っていればいつか報われる
持ち続ければ夢はかなう
そんなのは幻想だ
たいてい努力は報われない
たいてい正義は勝てやしない
たいてい夢はかなわない
そんなこと現実の世の中ではよくあることだ」
そんな時テレビからこんなことが聞こえてきた。ホンダのCMだ。いやがらせかと思った。タイミングが良すぎるだろう、と思った。結果を出すことができなかったということで、頑張ってきたこと、そのものが否定されたような気がした。とても悔しかった。そのセリフを聞いたとたん悔しくて悔しくて、涙があふれてきた。そして自分の部屋に逃げた。1人で泣いた。しばらく落ち込んでいたと思う。赤くなった目で家族に会うのがなんだか恥ずかしかった。頑張っても仕方ない、結局は努力は報われない、そう思ってしまうようになった。
それから数日たったお昼頃だったと思う。1人でテレビを見ていた。すると、あるCMが流れてきた。私に試験に落ちたことに加え、さらにショックを受けさせたCMだ。しかし、あのホンダのCMには続きがあった。よく聞き取れなかった私は、すぐに携帯電話を取って、検索してみた。
「頑張っていればいつか報われる
持ち続ければ夢はかなう
そんなのは幻想だ
たいてい努力は報われない。たいてい正義は勝てやしない。たいてい夢はかなわない。
そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。
けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。
技術開発は失敗が99%。
新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を超えろ。
きのうまでのHondaを超えろ。
負けるもんか。」
思わずその画面を保存した。感動した。あの時逃げてしまった自分が恥ずかしかった。試験に落ちた自分にとらわれて、身動きができない状態だった私が恥ずかしかった。たった一回の失敗で、挫けて、諦めてしまっていた自分が恥ずかしくなった。
たったの一回じゃないか。初めて受けたじゃないか。自分がしたこと全部が成功していたのではつまらない。試験に落ちたとき、確かに腹が立った。確かに、試験に落ちた。それがどうした。そこからがスタートじゃないか。自分の中で何かが変わっていった。やる気があふれてきた。なんだか、わくわくした。
それから、私はまた、試験の勉強を始めた。苦手な英語を、勉強した。また、落ちてしまうかも、と思うこともあった。そんな時は、携帯を開いた。待ち受けを見て、頑張った。その当時の待ち受けは、もちろんあの時保存した画像だった。”負けるもんか“そう自分に言い聞かせ、頑張った。
試験の結果が出る日は、手紙が来るまで待てなかった。友達と一緒にいたにもかかわらず、すぐにでも確認したかった私は、携帯を開いた。結果を見ることはとても怖かった。どきどきしながら、恐る恐る画面を進めていった。すると合格の二文字が並んでいた。とてもどきどきした。さっきまでとは違い、とても気持ちのいいどきどきだった。とても嬉しかった。友達に自慢した。試験に落ちた自分に、やっと勝てた気がした。やっと前に進めるような気がした。
私はまだ、20年しか生きていない。その間にも失敗はたくさんした。つらいこともたくさんあった。きっと、今後の人生も失敗ばかりかもしれない。とても悔しい思いをすることばかりかもしれない。それでも、1%の成功のためにやると決めたことに出会えたら幸せだと思う。
私だって、負けるもんか。


素晴らしいエッセイをコピペさせていただきました。
私も、こういうのが書ければいいのですが。

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