Friday, April 26, 2013

たたみ1畳分

(ずいぶん前に描いたもの。ちょいと、手をくわえてみた)
 こどもに絵を教える機会があるということは、ありがたいこと。
きょうの、Gちゃんは、壁用のペンキでたたみ1畳もあるような、キャンバスに虹の絵を描いていたが、20%くらいで、とまっており、それを終わらせたいという。

まかしときーー。
もう、うきうきどきどき。
うまれてこのかた、あんなおおきなキャンバスに描いたことはない。
ビビッドな3匹の猫を描く。
私のもっとうは、ひとつのレッスンで1枚かきあげること。
私が、左の目をかいてサンプルをみせる。
すると、Gちゃんが右目をかく。

わたしが、左の耳をかく。
Gちゃんが右の目をかく。
という具合で、あっという間にたたみ1畳のキャンバスは、3匹の猫と虹でうまったのでしたーー。

I'm a very lucky person who has the chance to teach painting to kids. 
A girl, 'G', said she wanted to finish the painting which she had started to paint recently on a huge canvas.Wow, it was almost a tatami-mat size. I was excited to help her. I had never painted something on a huge canvas like that. 
She had already painted a rainbow on it. So I suggested painting 3 big cats in front of the rainbow. 

I painted the left eye of one cat as a sample.
'G' painted the right eye.

And we continued in this way. 

An hour later, we finished the huge painting successfully.




(やはり、わたしはおじさんを描くのがすきらしい)

(これも、ずいぶん前のもの。ちょっと手を加えたら、描きすぎてしまって。)


2月にあった、
競技会で、華のあるバイオリンをきかせてくれた、
シリア人の、まはなど君を描いてみた。

彼の周りは、花の色に染まっていた。

音が色を作り出す瞬間をみせてくれた。
 This is a Syrian boy who creates colours from sound in March's music competition.

Saturday, April 20, 2013

能力



カメラに、たくさんの機能がついている。携帯電話にも、コンピューターにも、炊飯器にも、電子レンジにも。
Cameras have lots of functions these days.
So do mobile phones, computers, rice cookers, microwaves, etc. 


どれだけたくさんの機能がついていても、
私が使っているのは、その内臓された機能の、ほんの、30%くらいではないかと感じている。

Lots of machines have many functions yet I think I only use 30% of the functions on each device I have. 


まず、取り扱い説明書を読むということ自体が億劫である。 
 結局、自分の能力なかでできることということにかぎられてくる。いろんな機能があったのに、使いこなせないまま、壊れたりして、次のものに買い換えるが、買い換えても、また、同程度の使い道しかしない。もったいない話である。人間の頭も同じではないかと感じ始めた。使おうと試みないかぎり、働きはしないのだ。

It is really troublesome to read the instructions that come with the devices.
So I never try anything too complicated for me. 
I think it's a waste that even though some people don't know how to use every function on their device, when it breaks and they get a new one, it's just the same thing: they never try anything that they are not capable of doing. 

I feel like the human brain is similar to this. 
I think as long as I don't try hard to use my brain, it won't start working.

足がぽっきり折れてしまった、ワイングラスをいつか描きたいと思って、ずっと捨てられないでいた。


うまく描ける能力は、そなわってはいなかったようであるが、
こればかりは、練習次第であろう。

次回に期待。

Saturday, April 13, 2013

Abu Dhabi

先日、久しぶりにアブダビに出かける用事があった。
ドバイは、行く機会があっても、アブダビにいく機会は、ほとんどない。

どこもかしこも、ビルだらけとなり、私たちが来た2000年の面影は薄い。

用件が、済んだあと、ほかの家族と、
ランチということになった。シャングリラホテルの中にあるスークの上の階にあるよく知られたレストラン。

私が、注文した、クリーミーとむやんスープは、

水で10倍ほどに、
薄めたようなクリアなお湯のなかに、3匹ほどの、
小エビが
すみませんねーといわんばかりにしずんでいるというなんとも、
お粗末なものだった。

これでこの値段はないん違うとおもったけど、
ここで我慢。
ここで、暴れては、
半世紀以上生きてきた女がすたるというもの。

2度とこれを注文しなければよいわけである。

というのは、うちの娘の注文した

餃子と、
えびのから揚げは、
5重丸の味と量だったうえに、
私のより、安かった。


レストランから、
見えた景色は、
遠くで、つりをするおじさん二人。

紙がたりないときは、あとで、くっつける。
ようは、最初から、あまり構成を考えないままスタートするとこういうことになる。

Last week, we went to AbuDhabi.
I took some photos from the restaurant.

Two guys were fishing on the beach.

何年も前にかいたサナヤエリアでの絵がでてきた。
私は、絵を紙の両面に描いてしまうので、
なにをどこにかいたのがわからなくなっていく。
これがおかしいのは、
おじさんの後頭部がやたらと、うまくかけていること。
自転車の陰が像のようになっていること。
最後になんで、これを描きたい思ったのか、思い出さないこと。


This painting came out from the old file. Maybe I painted it around 3 years ago. 

I can't remember why I painted it. 
The bicycle shadow looks like an elephant. 


(うちの近所のスーパー)

子供のころ、大嫌いだった算数。
鶴亀算など、こどものとき、
よくわからなかった。

しかし、今になって、これを2次方程式ですると、
簡単にとける。
どうして、
こどものころ、

あんなに算数が嫌いだったのだろう。

Lately, I've started Year 8 maths with a friend.
At least I would like to master this level.
Japanese curriculum and British curriculum are slightly different.
It is fun to learn it in a different way too, though. 

I feel like I'm growing
 these days.


                              Thank you for visiting my blog.

Thursday, April 11, 2013

黄色の力?

(in Al Ain town centre, I don't know the name of the flower)

2月5日にポストした、黄色の花への
アクセスの数は、私がこのブログをはじめて以来の、
最高記録となった。
信号機にも、使われるように、
黄色が人間の注意をいかに
ひきつけるかよくわかった。

いや、それとも、
あの花のできが、
よかったかな?(笑)



百日草を先週、いただく。
これはすごくもちがいいだけではなく、
特に、八重になったピンクは、刻々と色を変えて、なんともいえない、グラデーションを見せてくれる。この花が死んでしまう前に、なんとかこの色を紙にのこしたいと、四苦八苦している。

そこで、気づいたのは、花を描くというのは、その花がそこに生きていたことを証明するために描くのではないかということ。
その花が、死んでいくときに見せる最後の力を捉えてやることなのだろうと思った。

I got some zinnia from my friend last week. They last long and especially pink double petal one has been changing into a different pink colour. The pink changes every day little by little. I want to paint this pink gradation before the flower completely dies, but it is not easy. I'm having a hard time.

So I've realized that to paint flowers is to prove the flowers existed   and to catch their beauty and power which the flowers show before dying.










Friday, April 5, 2013

感謝



うちの娘が、突然、昨夜いいだした。

おかあさんに、ひとつだけ、感謝していることがあると。

13年も育ててきたのに、何やひとつだけかいなとおもったけど、ないよりまし。

私は、まったく忘れていたけど、
あの子が小さいとき、やたらと、テレビばかりみているときがあった。



これではいかんと、
わたしが、おもいついたのは、テレビこわれてしまいました作戦。
そういううそをついて、1週間ほど、テレビを見せなかったらどうなるのかと実験した。

あのときは、
こどもごころに、
テレビこわれたのに、誰も、修理にこなくて、
1週間くらいで、突然なおったから、変だなとおもっていたらしい。

おおきくなって、あれは、わたしにテレビを見せないための作戦だったんだと、気づいたという。
しかし、そのテレビを見なかった間に、面白いものを見つけてそっちに集中するようになり、
テレビが見えるようになっても、
それほど、感動しなかった。
そのときの1週間が私を変えたのよ。(ほんまかいな)と
なんだか、劇的な展開になってきた。

あの1週間で、テレビよりおもしろいものがたくさんあるやないのと気づいたとかで、
今でも、あまりテレビをみる習慣はない。
本人いわく、あのほんの1週間のテレビのなかったときが
鮮明に思いだされるという。
あのとき、おかあさんがああいうことをしていてくれなかったら、
いまごろ、
だらだらと、
テレビばかりみてるかもしれないので、
あの時は、うそをついたわたしに激怒したけど、
今になっては、感謝しているという。

毎日の洗濯やら、掃除、アイロンがけに、
食事。弁当。

もう、すっかり当たり前のことになっている。
ありがとうなんて、言葉はまず聞くことはない。

感謝の気持ちというのは、
何年も後から、ぽっと、にじみでてくるものなのだと、しんみりした夜だった。



市場のりんご。
紫を使うと腐ったようになります。





Monday, April 1, 2013

Peter?



      (ヒャクニチソウ、友人のアパートの近くで。)



昨日は、シャージャまで、でかけた。
何年ぶりだろう。
うちの娘の友人のAちゃんが、ピアノのコンペテションに出るっていうので、応援にいった。
We went to Sharjah yesterday, because our daughter's friend, 'A', was one of the performers in a music competition, so we all went there cheer her.

会場のAmerican University は、University cityのなかにあり、ョーロッパのどこかのお城に迷い込んだよう。花で、埋めつくされていた。
うちの娘も、こんなところで、勉強できたらいいのにーと、すっかり、魅了されたようす。


私が、いつもカメラマンなので、わたしは、ほとんど家族の写真にでてくることがない。


The venue was inside the American University. The American University looked like  a castle in Europe which was covered by flowers.


10時シャープで、競技は、はじまり、まず、グループ1の8歳までの子。次に、11歳まで。のように、年齢で、分かれている。
これが、8歳かいなと、ため息がでるようなパフォーマンスが続く。休憩時でさえ、鬼のような顔をしたピアノの先生のきびしいチェックはつづく。こわー。


                                      (He is 6 years old)


The competition started from Group 1 which is younger than 8 years old and afterwards was Group 2 which was 8 years old to 11 years old.
11歳までの、カテゴリーで、25人くらいのピアノを聴くことになる。朝、6時に起きた家族は、もう睡魔との闘いである。
あくびしすぎて、家族中が目は充血.

Totally around 25 performers in Group1 and Group 2。




さて、ランチのあと、カテゴリー3の12-13歳のパフォーマンスでAちゃんは、6番目。12人の中で、真ん中である。
もうこの年齢になると、かなりのレベルである。こんな長い曲どうやって覚えるの?人間業とは思えんわーがつづく。

After a  lunch break, Group 3 which was 12-13 years old started. 'A' was the 6th performer out of 12 performers. In this age, their level became really high, so automatically almost all the tunes became really long.

やっと、Aちゃんの番。
赤のシルクのシャツに白いスカート。選んだ2曲は、長くもなく、短くもなく、かろやかに、ドーム型になった、天井に響き、
贔屓目ではなく、一番すばらしいパフォーマンスだった。


'A's two tunes were perfect. Both were not too short and not too long. They were bright and made me happy. Her red silk shirt and white skirt were a great choice as well.That was the first piano competition for her. It was really successful. Her performance was the best.


せっかくだから、カテゴリー3全員のを聴いて帰ろうかなとおもっていたが、30人くらい聴いたから、今回は、もういいかな?という家族の意見を尊重し、ホールを後にする。



普通、競技会は、5日ほど続く。ピアノの次は、バイオリン、フルート。審査員も大変である。


Unfortunately, almost all performers' tunes were really long. I understand, when their level is getting high, tunes automatically become long.

過ぎたるは、及ばざるが如し。
Too much is as bad as too little. All the performers were great but their pieces were far too long for me. 


チャイコフスキーが彼の家族のなまえであることを昨日まで、知らんかった。これが、わたしの音楽のレベルであるからして、彼らの、弾く曲が長く感じたのかもしれない。
Many pieces that were chosen were by Tchaikovsky. I discovered that his first name is Peter and apparently this is common knowledge. This is my level when it comes to music. So maybe this is why I thought all the pieces were very long. 



Thank you for visiting my blog.